またまた、森博嗣のエッセイ。
激はまりしてます。
今回は抽象的に考える、ということについて。
不安な時ほど、具体的な情報にすがりたくなる。
みんなはそんなことない?
自分は、自身がない時ほど、「人に好かれる言動!」とか、「社会的に成功するための方法!」とかに踊らされて、この方法が実践できてない俺はだめだな、とか考えてしまう。
ただ漠然と、より良い人間になろう、自分に実力がつけば結果もついてくるはず、と思って、具体的な方法ばかり覚えようとしてた。
本の中でも、具体的な情報がネット上に散乱していることについて、こう書かれている。
こんなに沢山の情報が存在できる理由は、結局それらの方法では上手くいかないからである。
つまり、具体的な方法を身につける前に、自分がぼんやりとどの方向に進んでいきたいのか、自分で考えて、自分で決断する必要があった。
それは、どの職業に就こう、とかいう「具体的」な決断ではない。
そもそも、どの職業に就くか、というのは数ある職業の中からの「選択」であって「決断」ではないように思う。
もちろん、悲しいことに何かしらの職業に就かないと生きていけないけど、まず方向を決めて、その方向に向かっている、と感じる選択肢を選ぶのが大事なのかなと思った。
この本で一番刺さったのは、下の内容。
そもそも人が生きている、人を活かしているものは、抽象的な、ぼんやりとした理由でしかない。
(中略)
であれば、その抽象的な基盤の上に築かれる人生というものは、そんなに具体的に決めつけられるものでは、そもそもないのではないか。
この文で著者が言いたいのは、
生きるうえで大事なことはなんですか?と聞かれたら、最終的には「楽しめること」「幸せなこと」という抽象的なことにたどり着く人が多いはず。
つまり、人生の柱、大事にしてる価値観はみんなだいたい抽象的なはず。
ということは人生というものの本質は抽象的。
だから、こういう人生が一番良い!と具体的には決められない。
つまり、どんな人生でも、その人が満足してればそれで良い。っていうことやと思う。
結局、著者の森博嗣が大事だと思っていることは、あらゆる本に書いてるのと同じで、自分で考えることである。
いずれにしても、大事なことは、「もうちょっと考えよう」という一言に尽きる。
ネットや本で、具体的は手法を調べる時間を、抽象的に考える時間に使ってみようかな。
ちなみに、どうやって抽象的に考えるか、という具体的な方法については、もちろんこの本の中には書かれていません。自分でいろいろ試して考えてってことかな。
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